乳癌の記録9. 七月下旬
手術が決まってから入院するまでの二週間強
それはそれはあわただしくすごした日々でした。

お乳がなくなるのです、この自慢の美乳が。
ビキニで海、プール、温泉、スーパー銭湯、とにかくお乳をさらしました。
魅惑の胸元、もう、最後の謝恩?! 大放出ですアップロードファイル
今まで躊躇していたような胸元の空いたキャミソール一枚でも歩きます。

思えば今まで大活躍してくれたね(笑)
ありがとうアップロードファイル

入院の二日前は春シーズン最後の試合、三日前までは仕事の予定が入っていました。
もう諦めの境地で毎日は気楽なものです。
体も癌が体内にあるとは思えないほどに元気で、肌つやも良かったです。

後は気になることといえば私からの告知です。
手術三日前になってもまだ、親には告知をしていませんでした。
最終的には妹に促され、仕方なしに手術をすること、癌なことを電話で簡単に伝えました。

お医者さんというのはこんな嫌なものをしょっちゅうやっているのは、すごいものだと思います。

入院した日はとても暑い日でした。

最後のあがきで、前日は昼間はビーチへ、夜は日付が変わるまでスーパー銭湯に行きました。
体にはここしばらくのビキニ焼けがくっきりとついていました。

昼間は暇なので外出許可を貰い、帰ってきてからシャワーを浴びて、看護師さんがお臍の掃除をしてくれました。

記憶があるのはここまでです。
麻酔のせいで、前日夜から手術後の夜が明けるまでの記憶が殆んどありません。


手術後の夜、傷が痛かったこと、
巡回の医師に酸素マスクを外して欲しいと言った事をぼんやり覚えています。
カメラには手術の日の早朝に撮った無くす直前の胸の写真がありました。
携帯の着信履歴には手術前夜にメールした後輩との通話記録が残っていました。

何を考えたり、話したりしていたのだろうなぁ。
あのときのまみは。






今日で回顧シリーズは終わりです。
その後、ブログを始めたあたりの抗がん剤治療が始まりました。
今は抗がん剤も終わり、副作用も落ち着き、本当に再生するのです。

今回まとめて書いてみて、お乳があって健康だった自分にさよならを言った気がします。

一説では節分が一年の区切りとなるらしいので、二月から新しい人生の一年の始まりです。
これからのまみの再生へのリアルタイム記録、どうぞよろしくお付き合いくださいアップロードファイル

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乳癌の記録8. 七月中旬
セカンドオピニオンを聞きに行った次の日は主治医の診察日でした。
もうそろそろ治療について、術前化学治療にするか手術を先にするか
決めなくてはなりません。
たとえ術前にしてしこりが小さくなったとしても
全摘をしなくてはいけないことに変わりはないと言われました。

「では術後にします。はやく取って下さい」

仕事の日程と自分のチームの春の最後の試合に出たいということで
その日から約二週間後の手術日が決まりました。

「まだご家族には病気のことは話してないんですよねえ。手術の説明のためにも、話しておかないといけませんよ」
「いやです。できれば隠し通したいのですが」
「でも説明の時に誰かいてもらわないとだめだからねえ」
「友だちとかダメですか」
「だめですねえ。言わないとねえ」

頑固なまみにぼやっとした先生も困っていました。
まみは人に甘えるのが苦手です。
そういうところもまたもてない一因だと思われます。

おっと、話がそれましたが、出来れば心配もかけたくないしで
親には黙っていたいと思っていました。
今まで進学も就職も、殆んど親には相談することなく
事後通達みたいなことが多かったです。
それなりに親不孝ものかもしれません。

「じゃあ、妹に来てもらいます。でも働いているので平日は無理なのですが....」
「じゃあ土曜日とかはどうですかあ」

主治医は病院の開いてない土曜日に説明をしてくれることになりました。
今思うと本当に申し訳ないと同時に、やはり主治医はいい人だと思います。
かなりのわがままなのにね。

実はこの日も主治医の診察日ではなかったのです。
治療について早く決めなくてはということで、セカンドオピニオンを聞いた次の日に診察をいれてくれたのです。

ほんとにやさしいいい先生です。
ちょっとぼーっとしてるけど。

セカンドオピニオンで散々泣かされた後だけに、余計に主治医でよかったと思いました。

「そういえば先生、昨日リンパに転移があるかもって言われましたが」
「あーそう。でも元から取るつもりだったけどねぇ」

昨日とは違って、なーんだそうなんだって笑いました。

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乳癌の記録7. 七月上旬
告知をされてから一週間後から、毎日検査の連続です。
CT、MRI、骨シンチ、血液検査、呼吸機能。
一人で何度も病院に通いました。

どれもこれも初めての検査でしたが、気が張っていたのでしょうか
不安なく進みました。
MRIの造影剤で喘息症状が出て車椅子で運ばれたり、肺活量が大きくて「とてもいいですね!」とほめられたり、面白おかしい主治医に会うのも楽しみで、それなりに笑える出来事があり楽しく通っていました。

しかし、そろそろ仕事の関係先には病気のことを言わなくてはいけません。
主要なやりとりをしているところには癌にかかりましたと伝えました。

その中で、まみも尊敬している年上の女性が、友達の乳腺外科医の御主人のところにセカンドオピニオンを聞きに行ってはどうかと薦めてくれました。
有名な先生らしく、予約が取れないところをコネで入れてもらいました。

検査後の診療で、セカンドオピニオンを聞きに行くので、マンモやエコーその他の情報を貸し出してくれるように主治医にお願いすると
「うーん、まあ多分おなじ診断になるとおもうけどねえ。
全部とらないといけないと言われると思いますよ。」と言われました。
でもいろんな人の意見を聞いてみるのも、自分が納得するにはいいだろうと思ったのです。

数日後、いつもとは違うきれいな私立大学病院の雰囲気に圧倒され、
その日はたまたまナーバスだったのか緊張していたのか
触診中に過呼吸になり必死に息を整えました。
今思うと、強がりも無理をしていたんだろうなぁ、と思います。

「残念ですが、主治医の先生と同じ意見です。
この病状では全摘しか方法はないと思います。
化学治療も術前か術後か、受けなくてはいけません。
更にリンパ節が腫れているのでリンパ節転移も疑われます。」
リンパ節転移の可能性は主治医からは聞かされていませんでした。

「手術後は浮腫などの後遺症が出る可能性があります。
手が上がらなくなる後遺症が出る可能性も否めません。」

更にお医者さんは今の状況からの再発率、10年生存率やステージなど
主治医が言わなかった厳しい状況を伝えてくれました。

その日、セカンドのお医者さんからの新たな事実は
まみ一人で受け止めるには重過ぎるものばかりでした。

「主治医の先生はとてもいい先生ですので、そのまま治療をうけられるといいと思います。」

ボソボソしゃべって面白い主治医といると、癌は全然怖くない病気のように思っていましたが、これだけ辛い真実を突きつけられると絶望しそうになりました。

自分の住む町までの帰りの電車で途中、いてもたってもいられなくなり
途中下車した駅で一人、まみははじめて声を上げて泣きました。

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乳癌の記録 6. 七月初旬
今日は脱線。病気は出てきません。

告知を受けて数日後、七月最初の週末
まみは同期の友だちの居る地方都市に来ていました。

告知を受けた日、三人の友だちに癌の告知をされたことを伝えました。
年上の友だちも、中学からの友だちも驚いて、悲しみ、励ましてくれました。
とても心の温まる励ましでした。

しかし、同期は最悪でした。
「あーそー、そんなん知らんな。気分悪いこときかせんといで。寝るわ」

まみ、激怒です
元々寝起きは不機嫌で冷たい人柄でしたが、こんな時にそれ!!?
十年間の一緒にすごした無駄な時間を返せ!!!

ある意味、すごいなと思います。
癌を宣告された長年の友だちにこういえる人はなかなかいないでしょう。
(というか、粗末にされすぎで哀れか)

次の日電話がかかってきました
「もしもしー怒ってるー?」
「あたしが死んでも葬式には来ないでね!!死んだら絶対に枕元に毎日毎日たってやるっ!!」
「もー拗ねるなやー気持ちよく寝てるとこにあんな気分悪い話きかされたら嫌やろー」

でも何故か最後には笑っていて、いきなり二日後には友だちの住む場所まで行って、そこから往復600kmのロングドライブをすることに決まっていました。

旅の行き先は友だちの実家、まみの希望です。
当日、雨の予報ははずれ、曇り空からときどき晴れ間が見えました。

友だちの実家には学生時代も卒業してからも何度か行っていました。
お調子者だけど男気のあるおじさん、働き者できれいなおばさん、しっかりして可愛い妹、背が高くてハンサムな弟。
いつも仲が良くてにぎやかで楽しそうで、まみの育った家庭とは全く違いました。
友だちの家はまみの憧れの、夢のおうちだったのです。

帰りしなにおじさんがまた「良かったら息子貰ってな」と言って笑いました。


あのおうちの嫁に、正直なりたかったです。
弟のほうがもちろんいいけど。
友だちもそろそろお年頃です。
数年内にあの家にお嫁さんが来るのでしょう。

多分もうあの家に行くことも、おじさん達に会うこともないでしょう。
遠ざかっていく夢のおうちを、ずーっと振り返って見ていました。

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乳癌の記録5. 六月下旬
告知される日まで思い切り元気に過ごそう
そう思っていても、前日には暗雲たる気持ちでした。

乳腺外科の専門医による診察は午後の遅い時間から。
午前に比べて人もまばらです。
周りを見ると、暗い表情のはらはらした人、落ち着いて本を読む人、明らかにしんどそうな人に分かれました。

隣のショートカットのおば様は、傍目からもわかるくらいに
落ち着きをなくしていました。
目が合うと、「あなたは検診か何か?」
とハスキーボイスで笑いかけてきました。

「はい、この間診てもらって今日再診なんです」
「そう、私も今日結果を聞きに来たの。でももう分かってるんだけどね。
再発したのよ。ああ、もうどうせなら早く聞いて楽になってしまいたい。
こうして待っているのが辛い。」

おば様は、呼吸も荒く、目を閉じました。

私が今から多分告知される癌という病気は
人にそんな苦悩を与える病気なのだ。
望む望まないにかかわらず、それを自分が同じように科せられるのだ。

何も悪いことしてないのにね、むしろそれなりによく頑張ってきたのにね。

名前を呼ばれて、中待合にいるとドアが開いて「どうぞ」と呼ばれました。
中に入ると、目のぐりっとしたお医者さんがマンモの結果を貼り付けているところでした。
先生はしばらくして、どうも結果はおもわしくなく、乳癌の可能性が高いことを落ち着いた態度で(ボソボソと)伝えました。

石灰化というのがかなり広くなっていること
腫瘍の大きさもかなり大きく全摘出になる可能性が高いこと
これから細胞を取って確認するが、来週から色々な検査をして転移などがないか調べること。

「そうですか。2年前に受けた検診では何も見つからなかったのですが」
「ではそのときはなかったのでしょうね」

少し落ち込んだ様子ではいたと思いますが
はたから見ても冷静だったと思います。
しこりをみつけた瞬間から、癌という覚悟は出来ていました。


それでも細胞の採取をするためにベッドに横になっていると
悲しくもないと思っていたのに、さすがに一筋涙がつたいました。


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乳癌の記録4. 六月中旬
診察のある、多分告知されるだろう日までは普通に暮らそう
そう思って六月を過ごしていました。

殆んど自分の中では覚悟は出来ていましたが、もしかしたら乳腺炎などなのかもしれない、と一抹の期待も持っていました。

六月の半ばは私的な用事でも忙しく、幸いばたばたと過ぎていきました。

いつもと変わらない仕事、友だちとの遊び、チームの試合
外から見れば普段と変わらずによく笑う明るいまみだったと思います。

けど、元々楽天的なまみも、もう完全に明るく楽天的ではいられず、気持ちの中には「私は癌になっちゃったんだなぁ」という一握りの消せない影が出来ました。

けれども執行猶予、その間は自分はまだがん患者ではない。
次の診察日までは白黒つかない身分なのだから、普通に暮らそう。

多分、「健康な自分」でいられるのはあと少し。

胸に大きな嫌なしこりがあることが信じられない程に、体力はみなぎっていました。
むしろ普通の人よりもずっと健康そうな外見だったと思います。
思い切り体を動かして、近所の山へ登ったり自転車で遠出をしたり
毎日毎日、なるべく体を動かしていました。

初夏の日差しはまぶしくて素敵で、緑は一日一日濃くなっていきます。
自転車を漕いで汗をかくと、公園を見つけてパピコを買って飲むのが
爽快で、ささやかな至福のひとときした。

何をしておかなければいけないか、
健康なうちに健康を堪能しておくには何をしておくべきか。

必要以上に精力的に体を使って動き回って、あと数日の執行猶予を完全消費しなくては。
そんな気持ちに突き動かされていました。

この時まだ、世の中の私以外の誰も、
正確に言うとお医者さん達以外は
私が病院に行っていること、
大きなしこりを胸に抱えていることを知る人はいませんでした。

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乳癌の記録3. 六月初旬
胸にしこりを発見してから約二週間
ようやくひと段落が着き、病院に行くことが出来ました。

家からも交通の便が良い、市内でも大きな公立病院で
ここなら適当な診断を受けられると思いました。

もう自分は癌だと思っていても、乳癌のことを調べることはさすがに怖くて
できず、どこの科へ行けばいいかも分からなかったので、総合受付で
「胸にしこりを見つけたので診療してほしいのですが、何科に行けばいいですか」と尋ねました。

受付の、多分看護師さんは一瞬怯んだ様子をして
「でしたら外科に行ってください」と教えてくれました。

外科受付に行くと初診の問診表をわたされ
そこに血乳のことや気づいた時期などを書き込んだと思います。
予約外だったため、かなり待たされて初診外来に通されました。

そのとき通された先生は一般外科の先生でした。
一通り症状を伝え、ベッドに寝て触診をします。
「痛みはありますか」「いつから気づきましたか」
先生は感情を表すことはありませんでしたが、
少なくとも楽観的な様子ではないことが雰囲気から分かりました。

「では、マンモグラフィを受けてください。その後乳腺外科の専門の医師が診療しますので、予約を取って帰ってください」

説明してくれた看護師さんによると、乳腺外科専門の先生は予約が一杯らしく、一番近くても約三週間後の午後にしか取れないという話でした。

三週間の間だけは、まだ癌患者じゃない自分でいられる。
執行猶予のようなものだ、と思いました。
でも同時に告知をされるなら早いほうが気持ちが楽なのに、
と思っていました。

マンモグラフィを撮影してくれたのは、同い年位の女性の技師さんでした。
その頃には毎日血乳が確認されていたので、強く挟まれたお乳からは
撮影後大量の血があふれ、板の上にべったりとくっついていました。

「すいません、血が出るのでついてしまって」と謝ると、
技師さんは、ティッシュで拭きながら「ああ、そうかぁ...」とつぶやきました。

その中には、病状がああならばこうなるなぁ、という納得と、可哀想にという響きが込められていたように思います。

更にもう一度、患部だけの、より小さなマンモを撮影することになりました。
「痛いのにごめんなさい、もっと小さな範囲で詳しくもう一度撮影します」

二回目のマンモでまた出た大量の血乳を
今度は自分で、
諦めのような冷静さでぬぐいました。


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乳癌の記録2. 五月下旬
五月の最後の週末に、出張と知人の結婚式が関東でありました。
取引先で一泊の仕事をし、知人の結婚式が行われる地方に向かいます。

打ち合わせをしてご飯を食べ、ほろ酔い気分で宿に戻ってきました。
お風呂に入ろうとしてブラジャーを外すと、
左のカップに、ちょうどTシャツについていたのとおなじようなしみが
ポンポンと付いていました。
なんだか嫌なもやもやが胃のあたりを重くします。

お風呂に入って、どこに傷があるのではとこわごわ胸を調べようとしたとき

ごりっ

と大きなしこりに触れました。
左胸に、鶏卵くらいの大きさでしょうか。(まみはFカップです)
背筋に寒いものが走り、一瞬頭をなぐられたようなショックが襲いました。

直感的に、絶対に乳癌だと思いました。

まみの周りには若くして癌で亡くなった方がいました。
一人は22歳で、一人は28歳で。

しかも前職のストレスで体を壊していたとき
血液検査をした先生に言われました。
全身は皮膚炎でかさぶただらけ、喘息は数ヶ月間続き、肋骨は疲労骨折、腎機能低下・肝機能低下・結膜炎・口唇ヘルペスとボロボロでした。
「かなり抵抗力が弱っています。ストレスなのですね。
本当に仕事を辞めないと、冗談じゃなく癌にもかかりますよ」

病院に行かなくては。
でもちょうどこの後も出張が続いていて、行けそうなのは二週間後でした。

週末の知人の結婚式は天候にも恵まれ、それは美しい結婚式でした。
オープンエアのチャペルからは、山並みときらきら光る川が見えました。
フランクで温かみがあって、笑いに溢れた気持ちの良い式でした。

たくさん笑って、上機嫌で、一日を過ごしたのに、
一人ホテルの部屋に帰ってくると左胸にあるしこり
という真実が胸を重くします。

窓から見える夜景を一人で見ながら、どうしても心細くなり
大学の同期でもう十年来の付き合いの友だちに電話をかけました。
まみにとってはカレシが居るときでも優先順位一位な、特別な友だちです。

すぐ怒るし、冷たいし、自分勝手で女の趣味の悪い友達です。
でも言う事に筋が通って、おかしいと思ったことはきちんと口に出せる人です。

それに、どんなときでもお腹の底から笑わせてくれて
一緒に居るときは快晴の青空の下にいる気持ちになるような
まみにとって、まるで太陽みたいな人でした。

その日も意味のない世間話をして、左胸にあるしこりを考えてくよくよするのが勿体無いと思うくらいに、心の底から楽しく笑いました。

そんな中、どんな話の流れだったか覚えていないのですが
「俺が99歳まで生きるとしてやで」と口にしました。

ふと、この人ずっと細く長くでも私の人生にいると思っていたけれど
この人の99歳は私見ることはないのだろうな、

そう思いました。

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乳癌の記録1. 五月中旬
年末の抗がん剤で、一通りきつい治療は終わりました桜
みなさまには色々と励ましていただいて感謝はずかちーv感謝です。

これからは経口抗がん剤と経過観察になります。
長い戦いのまだ一歩、二歩を進んだところなのでしょうか。

ところで、これまで病気のことをあまり書いていないなぁ...と思いました。
一息ついて病人気分が抜けたところで、自分の記録のためにも、病気を見つけてからのことを記しておこうか、と思います。

はじまり、はじまりアップロードファイル



まみの一番好きな月は五月ですアップロードファイル
空は晴れて、新緑はきらきら、風は雲いいにおいがします。

ちょうど仕事は閑散期で、毎日暇な日々が続きます。
閉じこもっていても仕方がないので、毎日のように自転車やバイクに乗って散歩や軽い登山をしていました。

ある朝、気持ちいい朝日に目が覚めて、寝起き姿を鏡に映しました。
ふと見ると、寝巻き代わりのTシャツの左胸のあたりに
薄茶色のしみがポンポンとついていました。

あれ?いつのまにこんなしみをつけたのかな?
きっと起きている間についた飲み物のしみ、くらいに思っていました。

それから数日後、またおなじようなシミがついているのを見つけました。
先日とは違うTシャツなのにな。

寝ている間にひっかいたりしてどこかから血が出ているのかなアップロードファイル
そう思って胸の辺りをさがしましたが、傷はどこにもありません。

すこし、気味が悪いと思いました。

でも気候のいい五月です。

高校時代の友だちとトレッキングしたりふたば
新しく知り合った年下の男の子とドライブしたりダブルハート
研究室の後輩たちと飲みに行ったりアップロードファイル
チームの春のトーナメントの試合に一喜一憂したりrainbow


毎日あほみたいに幸せで、笑って笑って


楽しく過ごしているうちに、左胸についていた
気持ちの悪いしみのことはすっかり忘れていました。

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